「型」という名の「お約束」

少し前、新聞のチラシに歌舞伎の公演の広告が入ってました。
関西では珍しい事です。しかも地元の波切ホール。
演目は『一本刀土俵入』。お蔦は猿之助か、いいねえ。
で、駒形は… 中車。
中車って、あの中車か。
黙ってチラシを広告の束の中に戻しました。

『一本刀土俵入』は好きな演目です。
猿之助のお蔦も、すごく見てみたい。
でも中車の駒形は、はっきり言いましょう。見たくありません。
歌舞伎ファンの中には、香川照之が歌舞伎をやる事に反感を持つ人が結構いるんじゃないでしょうか。私もその一人です。
なぜって?
だってあの人、歌舞伎役者になってからもドラマやCMに出まくってるじゃないですか。
歌舞伎を一から始めるなら覚えなきゃいけない事が山のようにある。幼少の頃から何年も問答無用で叩き込まれて覚える事を四十を過ぎてからやろうというのです。
ほかの人の何倍も努力して、それでもこなせるかどうか。
それを二足のわらじで済ませようなどとは。


それでも文句を言うのはせめて彼の演技を見てからだと思い、一度だけTVで見ました。
(もう半年ほど前ですが)
演目は『元禄忠臣蔵』でした。

しかし彼の演技はやはり、というか予想以上に酷かった。
長いセリフ回しをきちんと覚えているのはさすが役者だと思いましたが、何を言ってるのかがわかりません。
昔の言葉で語られる歌舞伎はセリフの中身が分かりにくい。でも、演技がいいと言葉は自然と観客の心に入ってくるものです。
(初めての観劇時に歌右衛門の演技で思い知らされました)
けれど中車の言葉は伝わってきません。
彼自身、役になりきれていないようにみえました。

歌舞伎は現代人の視線から見ると理不尽な事が多いです。
そういう意味で歌舞伎は現代のドラマとは違います。時代劇とも似ているようで全然違う。理詰めで考えてもダメなんです。
(「主君の為に命を捧げる」なんて、今の我々に本心から理解できるわけがない)
ある意味割り切っておおらかな気持ちで演じたほうがいい。
見る側も何度となく歌舞伎座に足を運んでいるうちにそういう事が身につき自然とおおらかな気持ちで見ているものです。
中車にはそういうのがない。見ていて堅苦しい。まだまだまだ。
とにかく稽古を積んで場数をこなして覚えるしかないものが歌舞伎には沢山ある。ドラマやCMやってる場合じゃないというのはそういう事です。そう言われたくなければ客をうならせる演技をしてみろ、と。



それにしても驚いたのは、観客の冷淡さでした。
ご存じのように歌舞伎には「見得」というのがあって、盛り上がるシーンでは役者が大げさなポーズをとりツケという拍子木が打ち鳴らされます。
あれはいってみれば「ここがクライマックスですよ~」「はい、ここで拍手~っ!!」って言ってるようなものですね。
で、観客はそれに合わせて拍手したり掛け声をかける。
いわゆる「お約束」ってやつです。
客が同じ演目を何度も見に行くのは、こうして役者との一体感を感じられるからかもしれません。
ところが私がこの日TVで見た演技には、それがなかった。
中車が彼なりに一生懸命演技をして汗をかき演技しているのに、盛り上がるはずの場面で舞台が静まり返っている。
掛け声がかかるはずの場面で掛け声がかからず、拍手が起こるはずの場面で拍手が起きない。
こんな不気味なものはありません。
どんだけ中車嫌われてるんだよ。
でもあれを見る限り、やはり非は中車のほうにあると思います。
クライマックスへの持っていき方が悪い。ギクシャクとして流れが悪く、要するに歌舞伎の型ができてない
観客はそういうのを敏感に読み取り、冷めてしまう。
中車のほうも客の雰囲気を読んでしまい、なおさら萎縮してしまってる。
おそらく中車は生きた心地もしなかったでしょう。


歌舞伎に興味のない人は、型というのは古くさいものだと感じてるでしょうが、なかなか馬鹿にしたものじゃありません。
役者も人間ですから好不調の波がある。でもたとえ調子の悪い日であっても、身についた「型」は役者を助けてくれます。
「型」とは何百年と積み重ねてきた役者の知恵の結晶です。何代にも渡る試行錯誤の末に辿り着いた最善の方法。観客を喜ばせるための、理屈を超えた究極のレシピなのです。
つまり、要するにだな

伝統芸能ナメんなよ

歌舞伎も現代のお芝居も本質は同じだと思います。でも現代劇に型などはないし、伝統芸能に詳しくない人は「型というのは芝居を堅苦しく人間味のないものにしている」古くさい弊害だと思ってるかもしれません。
それは誤解です。型は役者を助けてくれるし、きちんと型を学んだ役者は「型」そのものからも自由でいられる。型通りに演じていながら、演じる人物の気持ちや自分の気持ち、観客への思い、そんな全てを演技に込めることができる。
「型」は強力な武器にこそなれ、足枷になるようなものではない。
そしてそれは、型が体の一部になるほど稽古を積んだ役者だからこそできることです。


今の中車に「型」が身についていないのは、TVで見た観客の冷淡さからも明らかです。
たとえ彼に反感を持つ客でも、中車がきちんとした演技をみせてくれたらちゃんと拍手を返したでしょうから。

TVを見たのは半年前ですが、半年やそこらで中車が劇的に上手くなってるとは思えません。彼が将来きちんとした役者になるなら喜ばしいことですが、今回はパスさせてもらいます。
三波春夫先生のCDを拝聴しながら、往年の芝翫のお蔦の演技を思い浮かべて「一本刀土俵入」を偲ぶとしましょう。



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雪山雪男

Author:雪山雪男
「艦これ」大好きな元「Answer×Answer」プレイヤー。
老眼と戦いながらプラモ作りに励んだり、気まぐれで小説を書いたりする日々です。

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