『流れよ我が涙、と警官は言った』

ある朝FMラジオでクラシックを聞いていると、とても魅力的な曲がかかっていました。
ダウランドという私の知らない作曲家の曲でした。
とりわけ「流れよ我が涙」という曲が心に残ったので、後でネットで情報検索してみました。
そうしたら何故かフィリップ.K.ディックの名前にぶつかってびっくり。
16、7世紀のイギリスの作曲家とSF作家がどうして繋がるのか!?
調べるうち、ディックの長編小説に『流れよ我が涙、と警官は言った』というタイトルがあると知りました。
そういえば以前読んだ彼の代表作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』にもモーツァルトの「魔笛」に関する記述があったっけ。
クラシック音楽に造形の深いディックなら、クラシックがモチーフになったタイトルがあっても不思議はありません。
「これはきっと傑作に違いない」
妙なインスピレーションを感じ、一カ月ほど探して手に入れました。


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もう一冊、短編集の『ゴールデン・マン』も同時に手に入れたのですが、ご馳走は後にとっておく私には珍しく「先に面白そうな方」と思ってこの本を読みはじめました。

読み始めたら、もう止まりませんでした。

1月頃に読んだディックの短編集には自分の中で98点をつけましたが、この本は100点以外つけようがない。
こんなに自分の感性にピタリとはまった本は、ひょっとしたら『星の王子さま』以来かもしれない。
自分が読みたかった本に出会えた。そんな実感を久しぶりに、本当に久しぶりに感じました。

だからといって「もっと早く知っておけば」とも思えない。
例えば10年前の自分ならこの小説にこれほど共感できたか疑問です。
作者が四十代の時に書いたこの小説には、主人公と作者が重なってみえる。そして四十代の終わりを迎えようとしている自分には、この小説ににじむ、肉体の衰えからくるどうしようもない疲労感が実感できる。
相応しい時に相応しい小説に出会えた、そんな気がします。

この本を読んで、自分がSFに求めていたものが何だったのか、今まで物足りなく思っていたものがなんだったのか、はっきりわかりました。
SFは、SFである以前に小説だということ。
小説として優れたSFを、自分は求めていたのだと。
このディックの小説は、間違いなくそうです。
これを書いていたディックは作家として充実の極みにあったに違いない。この時期に彼が書いたものなら内容に関係なくどんなものでも面白かったに違いない。そう確信できます。


この小説にはいわゆるSFっぽさが乏しい。
ほとんどのシーンが日常の描写で占められている。
なのにちっとも退屈しません。登場人物にリアリティを感じるからです。
私はこの小説の主人公(と言い切っていいかわからんが)タヴァナーという男を好きになりました。彼だけでなく彼に関わる人物たちも。そしてここに描かれた世界そのものを。
このいっけんSFと思えない平凡な世界で登場人物と共に、あるいはタヴァナー本人やバックマン本部長となって生活している錯覚さえ感じます。この本を読んでいる間じゅう。
そして、もっと読み続けていたい。いつまでも。
いつかこの本を読み終える時が来る。それがとても悲しい。
小説にそこまで思い入れをしたことがあるのか。あるとしてもそれは昔の事すぎて思い出せないほどです。


そしてとうとう、読み終えてしまいました。
放心状態になった私を、けれど喜ばせるものがまだ残っていました。
本の最後の最後、カバーの折り返しの部分には彼の作品が、まだ知らないタイトルがずらりと並んでいたからです。


生きている頃の彼を知ることはなかった。自分がまだ学生の頃、彼は他界してしまったから。
けれど若い頃に彼の作品に出会っても、自分には理解できなかっただろう。
今この時期に彼の作品に出会えたのは幸せな事だと思います。
残された彼の作品を噛みしめるように読んでいきたいと思います。


けれど『流れよ我が涙、と警官は言った』を超える作品には出会えないだろうとも、半ば確信していますが。

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雪山雪男

Author:雪山雪男
「艦これ」大好きな元「Answer×Answer」プレイヤー。
老眼と戦いながらプラモ作りに励んだり、気まぐれで小説を書いたりする日々です。

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